ジェンダーの話
昨晩の職場の呑み会で、ちょっと普段より多めにワインを摂取してしまったせい、もしくはカフェイン耐性が弱いのにドルチェの際にエスプレッソを飲んでしまったせい、で起きてしまった。
2時間ほど布団の中でごろごろしてみたが、眠れないので久しぶりになにか書いてみる。
最近Twitterではジェンダーの話が盛んにtweetされている気がする。
(フォローしている大学の友人達に関心が高い人が多いので、観測範囲が偏っている面はあれど)
そういうものを見る中で思い出したこと。
小学校中学年ぐらいだろうか、まだセックスとジェンダーの違いを知らず、それらを引っくるめた『性別』として男女の区別をしていたころ。
父方の祖母が私にはしきりに『ほら、あんたも手伝いしなさい、女のなりしてからに』というのに、3歳下の弟には一切言わないことが、不服でたまらなかった。
何故そこに『性別』が出てくるんだ。
百歩、千歩、いや万歩、譲って『あなたが年上なのだから』ならわからなくはない。
年齢的に、私の方が弟よりも、安全で指示が通りやすいという理由ならすんなりと受け入れられたと思う。
しかし、手伝いを命じる祖母の口からは決まって『女のなり』という言葉が出てきた。
それは私たち姉弟が成長しても変わらず、私だけにかけられる言葉だった。
決してお手伝いをしたくないわけではないが、性別だけを理由にお手伝いをしないといけないというのは、納得が行かなかったのだ。
小学校3年生だったと思う。
算数の授業で図形の単元に入る前に、全員コンパスを購入させられた。
カラーのチラシにコンパスが2種類。
軸の部分が赤色と、青色のもの。
私は彩度の低いその赤色があまり好きな色に思えなくて、青色のものを注文した。
しかし、同じクラスの女子生徒で青色のコンパスを選んだのは、私だけだった。
36人学級で大体半分くらい、20人弱が女子生徒だったと思うが、
『皆そんなに赤色が好きなんだろうか』と幼心に疑問に思った。
もしかしたら、皆本当に赤色が好きで自主的に選んだのかもしれないけれど。
(このコンパスは今でも実家の私の学習机にあり、高校で数学と決別してからは主にCLINIQUEのパウダリーファンデーションのコンパクトからの詰替時に活躍していた)
就職活動のとき、財閥系のグループ企業の二次面接で言われた忘れられないひとことがある。
『なんで、女の子なのに総合職で応募したの?一般職じゃ駄目なの?』
志望理由や意気込みを知りたいのであれば『総合職を目指した理由を教えて下さい』で過不足ないだろう。
『女の子なのに』とはなんだ。
当時は知らなかったが、もしこうした質問を女性の応募者に限定してやっていたのならば、明らかに厚生労働省の言うところの『不適切な質問』だ。
大学を出、企業に勤めて実感したけれど、女らしさ、男らしさ、を評価軸にする人は自分が思っていた以上に居るものだ。
例えばプライベートで異性の好みとして、そういう評価軸を持つのは、その人の自由だと思う。
他人に迷惑をかけない限り。
厄介なのは、それを正しい価値観だとして、全くそれを適用する必要のないところで、ふるってしまう人の存在だ。
これだけハラスメントが問題になる世の中で、『これは正しい価値観だから自分のやっていることはハラスメントではない』と考えている人。
いや、考えてすらいないかもしれない。
無意識のうちにそれらを行使してしまう人。
男性から女性に対してばかりクローズアップされるが、女性から男性に対して、女性から女性に対して、男性から男性に対して、性別を理由にしたハラスメントはある。
前職で営業事務職の募集に応募してきた男性のことを、役員が『事務の男なんて採るかいな』と言っていたのには耳を疑った。
その人の希望や、適性、前職での経験を無視して、そんなことを言うのだ。
お茶くみ、電話番をやりましょうね、と新人女性にのみ業務引き継ぎをするのは、女性の上司だった。
『何故女性だけなんですか』と尋ねると『男性は忙しいから、こういうのは女性がやらなきゃいけないの』と言われた。
転職してからは幸いにして、ハラスメントというほどのことは受けていない。
けれど、恐らく前職の会社では上記のようなことが今でも日常茶飯事なのだと思う。
そんな会社は、今の日本に何社くらいあるのだろうか。
もし性別をというフィルターを通さずに働くことが出来たら、働きやすくなる人がどれだけいるだろうか。
眠れないので思いを巡らせてみた。