ごった煮イマジネーション

140字じゃ足りないあれこれ。

2016年5月3日(火)の日記

『SHIROBAKO』を観終わった。
感想を書こうと思って気づいたのだが20話だけ見逃すという痛恨のミスを犯していたので、
きちんと20話も観てから感想を書くことにしよう……辛い。
あるべきお話をあるべき順番で観れなかったのは、作品を初めて通して観るに当たって、とってもかなしい。

観終わった、と思っていたけど観終わってなかった『SHIROBAKO』だが、
とりあえず2クール分ほど視聴に費やすことができた。
学生時代はいくらでもアニメ観れる気分で、といっても週8本くらいが確か最高本数だったけれど、
続きが気になるくらいのアニメは、確実に私の生活の一部になっていた。
働き出して、勿論学生時代と同様の気持ちでアニメは観ていたつもりなのだけれど、
いつしかレコーダーに残ったタイトルを眺めても食指が動かなくなっていた。
実家なのでレコーダーの残り容量が少なくなると消されるということもあった。
『アルドノア・ゼロ』なんかは途中までワクワクしながら観ていたのに、
気づいたら録画していた分がスポーツの試合にすり替わっていて、意気消沈してしまった。
人の録画したものを消す人間にはならないでおこうと誓った。
就職してから全話観たのなんてほんと数えるほどで、その間に話題になってたものもたくさんありかなしい。
一応毎クール新番組をチェックしているものの、最低限の12話、あるいは13話さえも続かない。
昨今の声優も原画マンも、全然名前を把握できていないのがかなしい。
来年のとうらぶ楽しみだなぁ、こんなこと言ってると鬼に笑われそうだ。

NHK教育の『にほんごであそぼ』という番組に今年の4月から美輪明宏が出演している。
役柄は太陽。
美輪サンという名で、美輪さんとsunをかけているのは明白だが、
疑い深いたちの人は、『もののけ姫』でモロをやっていた美輪さんだから
あえてその娘のサンをつけたのかと余計な勘ぐりまでしてしまう。
美輪サンは黄色い。
日本の典型的な子供が描いた絵のように赤色ではない。
『テレファビーズ』に登場する太陽も黄色く、乳児の顔をしていた。
多分今の美輪明宏の髪色が金色ではなくイエローに振り切った黄色だからだと思う。
美輪さんにオファーする際にどういう風に役柄の説明をしたのか気になる。
NHK教育はキャスティングにある意味惜しみがないので、そういう点がやはり視聴していて面白い。
スポンサーという大きな大きな存在を気にすることなく番組の内容を考えることができるのは幸せだよなぁと思う。

2016年5月2日(月)の日記

東京に行った。
行きのLCCで隣に座っていた男性のお弁当にお箸が付いていなかったらしく、
離陸前のシートベルトチェックの際にCAさんにお箸をもらえないかとお願いしていた。
離陸してシートベルトサインが消えてからの飲み物カートの中にならお箸が常備されているのかもしれないが、
急いで機内前方のウェイティングスペース(?)へ向かい、すぐに引き返してきたCAさんは男性にお箸を手渡しながら、
「あいにくご用意がございませんでしたので、私物ですがどうぞお使いくださいませ」と言ったのであった。
おそらくローソンでもらったであろう割り箸を男性に譲ったCAさんに、少しびっくりしてしまったが、臨機応変な対応か。
そして離陸直後に眠りに落ちた男性は、終ぞお弁当を食べることがないまま、羽田空港へと降り立った。

今回の東京滞在時間は極めて短く、12時過ぎに羽田空港へと着いた後、21時には同空港より関空へととんぼ返りで、
しかもその間に2時間ほどの所用をすませるという、タイトというほどではないがルーズとはいえないスケジュールだった。
無理を言って遅い昼ご飯を一緒に食べてもらった友人の矢野氏に、深く感謝する。
久しぶりに会ったのにお酒を呑めないシチュエーションだったので、次は絶対呑むぞと、心に誓いつつ。
他の東京在住の友人達にも会いたかったのだが、これもまた次の機会だ。

完全に遊びに来たのなら、いちAgentとして、ポータルで満ち溢れているという東京都心で思う存分Ingressと洒落込みたかった。
今回は時間的にも精神的にも余裕が足りず、所用を済ませたあと、赤坂駅付近から半蔵門駅方面へ歩きつつHackしたぐらいで終わってしまい、心残りである。
ビルフェチとしてはおっきなビルがたくさんどかんどかんと立ち並んでいる23区東部は歩いているだけで眼福だ。
どのビルもセキュリティがしっかりしていて、泣く子も黙る東証1部上場企業の本社ビルは1階の自動ドア近くに警備員のおじさま方をどかんどかんと配置している。
私のような挙動不審な輩がスマフォ片手にうろうろしていると、冷たい一瞥を投げかけてくる。
駅付近のタリーズドトールをのぞけば一服するところもなかなかなく困るので、ぜひどのオフィスビルも1階ロビーにカフェスペースを設けてほしい。

世の中には高所恐怖症の人が一定数居るというのが、25年強生きていると実感としてある。
そういう方々は、例えば高層オフィスビルの上層階に位置する企業や部署で働くことになった場合、どうしているのだろう。
しかも、そういう上層階のオフィスゾーンは、これでもかと外周部を全面ガラス貼りにしており、
ぴかぴかに清掃員の方が磨き上げてくだすったガラス越しに青空と夜景が楽しめる意匠になっている場合が多い。
できるだけ外を見ぬよう仕事をしているのか、気合いで克服されているのか……。

2016年5月1日(日)の日記

なぜ私はこんなにねこを好きになってしまったのだろう。

私が幼い頃、母の実家でねこを飼っていたので、ねこ大好き!状態になってしまった理由の大部分は恐らく刷り込みだと思う。

『ねこ可愛いなー』と思いながらも、触れ合う機会は祖父母宅(母の実家)に遊びに行った時くらいで、

それも飼っていたというにはちょっとゆるく、餌は与えるけれど家の中にはほぼ入れず、外飼いのような形だった。

警戒心もそこそこ強かったので、なかなか子どもの私には近寄ってきてもくれなかった。

大学ではまちかねこ調査隊に一応所属し、なかなか活動に参加できなかったけれども、たくさんのねこを観察した。

が、まちかねこも総じてみな待兼山に生息している半分野良の地域猫といった形であり、至近距離で触れ合えたのは斎藤さん(一番有名なまちかねこ、黒い)くらいであった。

アルバイトをしていたお金で時々ねこカフェにも通ったものの、触れ合うというよりは写真を撮るのに徹していた。

そんなわけでがっぷりねこと対峙したことは実は今までなかったのだが、母が言い出したことにより、ねこを飼い始めて1年半弱になる。

実家でねこを途切れず飼っていたことにより、我が家に嫁に来てからというものねこを飼いたくて仕方なかったものの心の内に秘めていた母だったが、

動物嫌いの姑が亡くなってから3回忌を無事終えたタイミングで、娘の私でさえもほとんど聞いたことがなかった母のわがままが発動した。

最初はねこを完全室内飼いすることに抵抗のあった父や祖父も、いざ飼い始めるとやに下がり、べろべろのでろんでろんだ。

ねこを飼い始めて新たなる発見があった。

まず、ねこはあたたかい。

あぐらをかくとその真ん中に、三角座りをしているとその斜面に、ねこが乗っかってくることがある。

たいていそのまま寝てしまうのだが、体温があるもふもふの毛で覆われた動物が微動だにしないと、とてもあたたかい。

冬にふかふかの毛布で寝ている人は、その毛布がほどよい温度で自分に密着しているところを想像してみていただきたい。

こちらまでぽかぽかしてくる。

そして、思った以上に遊ぶ。

これはねこ自身の性格や年齢に多少なりとも左右されると思うが、私はねことボール遊びができると思っていなかった。

しかし、うちのねこは結構遊ぶのが好きで、母お手製の毛糸を編んで作ったボールをおもちゃかごから引っ張り出してきて、口でくわえて持ってくる。

投げてやると、とっとっとっと、と駆けて行き、また加えて戻ってくるの繰り返しだ。

そういう遊び方をするのはいぬだけだと思っていたので、今までねこ大好き!とアピールしていたのが恥ずかしくなるほどだった。

これからも多分新たな発見があるのだろう、奥が深い。

2016年4月30日(土)の日記

新世紀エヴァンゲリオン』の漫画版の最終巻を買った。

発売されてから既に1年半ほど経っているのだが、何となく気後れしてしまっていた。

私がエヴァに触れたのは中学生の頃で、J-COMを契約していたので、キッズステーションかアニマックスかどちらか忘れたが、

とにかくアニメ専門チャンネルで一挙放映があった際に、今となっては嘘のようだがビデオテープに録画してまで、TVシリーズと旧劇場版を観た。

NHK教育で幼少期から小学校低学年にかけて『飛べ!イサミ』『YAT安心!宇宙旅行』などでアニヲタとしての土台が着々と耕され、

小学校4年生の時に導入されたJ-COMにより、『らんま1/2 熱闘編』や『CLAMP学園探偵団』を延々と見続けることですくすくと芽が出、

さらに『月刊ニュータイプ』の洗脳により、90年代を代表するアニメであるエヴァを観ないわけにはならないという謎の使命感を得たのだ。

パイロット達が同年代だったこともあり、割と感情移入しながら観ていたような気がする。

あまり評価されていないTV版の最終回でも、パイプ椅子から立ち上がるシンジくんに勇気づけられ(?)泣くほどだった。

旧劇場版は旧劇場版で、多感な時期に観るには衝撃のラストだった。

そうしてエヴァをあらかた消化した2年後には、新劇場版の制作が発表された。

まさか劇場でエヴァあらためヱヴァをリアルタイムで観ることになるなんて、全然思っていなかったし、

さらにいうと社会人になって数年過ぎた今でも新劇場版が完結していないなんて高校生当時の私は想像していなかった。

作品全体として10年以上の付き合いがあるが、TV版、旧劇場版、新劇場版、そして漫画版でそれぞれストーリーは違っており、

果たして漫画版ではどういう風に着地するのか、冷や冷やしながらページを繰った。

詳しい話はネタバレになってしまうので控えるが、貞本氏なりの『エヴァの結末』を読むことが出来て良かった。

あとは、新劇場版を待つのみ。

 

IngressのSojournerメダルのオニキス目指して挫折3回目。

Ingressをご存じない方にご説明すると、位置情報を元に世界中で行う陣取りゲームのようなもの。

興味を持たれた方は是非ご一報下さい。

Sojournerメダルのオニキスは、360日連続でIngressをプレイしないともらえないのだが、私は一度240日くらいで挫折してしまい、

その後頑張って100日経過していたのだが、今日気づいたら7日になっていたので、どこかでプレイ間隔が24時間を超えてしまったらしい。

気長に行こうと思うが、Pokemon GOが正式リリースされたらサービス自体終了なんてことにならないように、今から天に祈っている。

2016年4月29日(金)の日記

以前、『マツコ&有吉の怒り新党』を見ていて、マツコ・デラックス有吉弘行が単なる共演者というだけでなく、

本当に仲がいいんだなという部分が垣間見える瞬間が度々あって、なんかそういうのっていいなって思った。

心を許せる人と居ると、例えお仕事中でもああいう表情になるんだな、と。

 

世間では今日から10連休だったりそうでない人が居たり、いわゆるゴールデンウィークというやつで、

Twitterのタイムラインに色んな所の景色や、美味しそうな呑み屋のご飯が流れてきて面白い。

フォローしている人はほとんど大学在学中に知り合った人ばかりなので、今年の春から就職した人も多く、

割合としてはもはや学生よりは働いている人のほうがだいぶん大きくなってしまった。

以前はひっきりなしにといっても過言ではないくらい動いていたタイムラインも、今では出勤前の7〜8時台、お昼休みの12〜13時台、退勤後の18時以降以外はゆったりだ。

そんな中でも休日出勤をばりばりしている人や、周囲との軋轢に悩まされている人がいて、平日はお仕事しんどい状態に陥りがちなので、

休日にいきいきしている姿を見れるととてもうれしいし、だらだらできているならそれはそれで素晴らしいこと。

 

某ピザチェーン(仮にピザ屋Aとする)のチラシがポストに投函されていた。

これがもうとってもぺらっぺら。

クーポンの有効期間がとても短いからなのかしらんと思ったけれど、7月下旬までだ。

我が家はダイニング部分に正確な名称が判らないが固定電話を載せている台(電話台?)を置いているが、

最寄り駅の時刻表、出前のお寿司のメニュー、そしてピザ屋のチラシがその台の収納部分に置かれている。

そこからピザ屋Bのチラシを取り出すと、こちらはしっかりとした厚い紙を使っていて、クーポンが切れてもずっと置いておける感じ。

チラシに対する経費のかけ方の違いはどこから生まれたのだろうか。

単純に儲かっているかどうかなのか、上層部の考えの違いか。

 

オフィスビルにある企業に多いのだけれど、会社の入り口近くに電話が置いていて、内線で担当者の人を呼び出すというところがある。

そのシステム自体に全く文句はない。

ただ、とってもおしゃれな電話機である場合が多い。

妙に細くて薄い受話器はいいのだが、フックに当たる部分が非常にかけにくい。

呼び出したあと、受話器を置くのに若干の慣れが必要だ。

しかも、困ったことにそのタイプの電話機を採用している企業がかなりの確率で、見かける度に苦手意識を感じてしまう。

良いデザインは使いやすさと切っても切り離せないと思うのだけれど……。

2016年4月28日(木)の日記

スーツを着る度にお腹が痛くなるので、ストレス性の何かしらで胃腸に負担がかかっているのかしらん、と思っていたのだが、

今まで9号を目安にしていたスーツのサイズを、7号を試着してみたところまぁいけんことはなかったので買ったわけで、

つまるところただ単に下腹部が圧迫されていただけだった。

根本的に痩せないとまずい。

 

NTT西日本のCMの音楽が良いと思ったのだけれど、企業HPに曲名などの記載がなく。

www.ntt-west.co.jp

しかし、NTT東日本の地域では同じ内容でロゴだけ違うCMを放映しているようで(というかこちらがほんちゃん?)

www.ntt-east.co.jp

きちんと曲名が表示されていた。

出来たらHPの表記は統一性を持たせていただければ嬉しいんだけれども……大人の事情かな。

 

Facebookがこれだけ普及すると、友達の誕生日なんかにおめでとう!って投稿しているその中に、まさか繋がっていると思わなかった別の友達が居たりしてびっくりする。

本当は関西、その中でも大阪府に住んでいて、年代がほぼほぼ近い相手なら、数字で考えるとそういうことはままあって不思議じゃないのかもしれないけれど、

人脈というものが、FacebookTwitterなどのツールで可視化されるようになっているのだなーと実感する。

Facebookの『今日は◯◯さんのお誕生日です』とリマインドしてくれる機能は、友人のうちだれもお誕生日を迎える人が居ない日もあれば、3人くらいお誕生日の人がいる日もあり、差が激しい。

星座占いは現代人からすると眉唾ものかも知れないが、同じ誕生日の人々の名前を眺めてみると、何となく雰囲気が似ている気がしないでもない。

そういえば、私には『顔が似ている人動詞は話し方も声質も似ている』という奇妙な持論があるのだが、いつの日かこの件についてはきちんと調べてまとめたい。

2016年4月27日(水)の日記

大学の後輩のまなみさんと一緒に国立国際美術館で展示中の『森村泰昌:自画像の美術史ー『私』と『わたし』が出会うとき』展を観てきた。

morimura2016.com

森村氏の作品を観るのはこれが2回目。

前回は12年前、花の(?)女子中学2年生の夏休みに伊賀へ家族旅行に行った帰りに、無理を言って滋賀県立近代美術館に寄ってもらった際だ。

開館20周年記念展 コピーの時代 -デュシャンからウォーホル、モリムラへ- « 滋賀県立近代美術館

当時、私はまさに厨二病を発症しており、図書館で大塚英志佐藤友哉を借りては読むという毎日だったのだが、

ちょうど嶽本野ばらの作品もひととおり借りたなかで、マルセル・デュシャンの作品に関する記述があって頭に残っていたのだ。

そこから興味を持って行った展覧会だったが、現代美術とはなんやるかもオーソドックスな美術史も知らぬまま目にする作品群は、衝撃であった。

自分が今まで教科書で目にしてきた絵画や彫刻作品だけが美術・芸術・アートではなかったのだと感じ、

では果たして模倣や複製をすんなりそれらと同じ範疇でくくれるかどうかというと自信無かった。

答えのない質問を14歳(誕生日が来ていなかったので正確には13歳)の私は漠然と抱え、帰阪したのであった。

そして今日、実に12年ぶりに森村泰昌の作品を見てることとなった。

その12年の間に美術史については全く専門的な勉強はしなかったものの、面白そうな展覧会が関西に来た際には訪れるようにしている。

高校生の頃サントリーミュージアム天保山で観たミュシャやガレ、美術の授業の課題で見に行った藤田嗣治、大学や社会人以降は山口華楊、マグリットなど、

あんまりジャンルを問わず、といっても関西で行きやすいところばかりなので若干偏るものの、時間と交通費と同行者の許す限りにおいて展覧会を観に行った。

別にそれで目が肥えたわけでは全然ないものの、画家が対象をどのように見ているかや何故その構図に決めたのかなど、作品と対峙する時は自分の中に無限に問いがぽこぽこ湧いて出てくる。

時にそれはキャプションで説明されていたり、画家のその頃の私生活の様々な側面が反映されていたりするのだが、

説明のつかない、私が脳内で想像して妄想して補う……自分なりの答えを見つけるしかないものが大半だ。

今回の展覧会から、森村泰昌は『画家が描いた自画像』に対するそういった問いの答えを、あるいは問い自体を、画家に扮し自画像を模倣することを通じて、探しているのだと感じた。

最後に展示されている映像作品は60分を超えるもので、上映時間の兼ね合いもあり全編観られるか不安だったが、最初の5〜10分ほどを見逃しただけで最後まで観ることが出来た。

これを観ずに帰らなくてよかった。

美術史について全く門外漢(門外女?)の私であるが、ちょっと勉強しないといけないな、と感じたのは、

アンディ・ウォーホルの格好に扮した森村泰昌を観て『箭内道彦?』と最初に思ってしまったこと。

ウォーホルの作品自体は知っていてもあんなオシャレ金髪サングラスな外見だなんて知らなかった……。

また、『田中一光ポスター展』も同時に開催されていて大変私得であった。

www.nmao.go.jp

中学生の時に美術の図表で一目惚れしてから、その無駄を一切省きつつポスターとしてインパクトを与える作風に『かっこいい……』と思っていた。

そのようなポスターが一同に集められているのを見ると、やはり圧巻だった。

イラストや配色のみならず文字表現やレイアウトのバランスが絶妙で、『どうやったらこういう発想が出来るんだ』と不思議になった。

そういう意味では自画像と違いポスター作品は商業性が全面に出るので、作者の意図が余計に隠されていてわかりづらいかも。

行く人を探されていたまなみさんには本当に感謝。

今年ももう4ヶ月経ってしまったが、また色んなものを目にしにいきたいな。

2016年4月26日(火)の日記

離職票ハローワークに提出して1週間が経過し、失業保険受給のための講習会に参加してきた。

受付に行くと、ハローワーク職員の方から山のようなとまでは行かないものの、そこそこの枚数の資料を手渡される。

職員の方からの受給についての説明1時間半弱と、詳しい内容のビデオ40分という構成で、2時間ほどで解散となった。

ビデオの雰囲気は自動車教習所で見る雰囲気にそっくりで、スーツに身を包んだお姉さんが懇切丁寧に順をおって解説してくれるのに対し、

不正受給に関しての部分のみ、『雇用保険審査官』という役職名の白プレートを卓上に伴った強面のおじさんがこれまた強めの語気で、『ごまかしたらバレる』という内容を伝えてくれた。

少しシュールだった。

あかんよ、不正受給。

 

ようやく耳鼻科でもらった薬を飲まなくても花粉症の症状に悩まされなくなってきた。

今年はどうやら花粉症おさめとなったようだ。

私は大学に入学した頃から、明確にそうじゃないかという症状が出てきてアレルギー検査をしたが、

思い出せる範囲においては、小学校・中学校・高校時代は発症(罹患?)していなかった。

本来なら少しずつ暖かくなってきてさして外出が苦ではなくなり、それこそ桜も咲き乱れ、ちょっとお外で一杯、なーんてのに適した3月〜4月の時期を、

特大くしゃみ連発、目がかゆかゆ、鼻水ぐじゅぐじゅで鼻の下はティッシュペーパーにより荒れ荒れの状態で過ごさないといけないなんて。

花粉症じゃなかった頃の私に告ぐ、今のうちに春を満喫しておきなさい。

ただ、ここ数年花粉症と付き合ってきて、眠くならない内服薬のありがたみを感じている。

お薬を飲むのさえ忘れなければ上記の症状に悩まされず、花粉症でない人々と同じくして、マスクをしなくてもお外をエンジョイできるのだ。

昔は眠くなるタイプが多く、授業やバイト等に多大な影響を及ぼしていたのだが、今の眠くならないタイプはデスクワークもへっちゃらなので、嬉しい。

あと、点鼻薬もすごい。

これが私の場合テキメンに効きまくりで、鼻は通り、無理やり口呼吸になることも避けられるようになった。

日々、医薬品の開発に取り組んでくださっている方々に感謝しております。

 

そういえば、耳鼻科にかぎらず、就職して大阪市内のクリニックに通院することが増えた。

定期的に通っているのは花粉シーズンのみの耳鼻科(梅田らへん)と、レーザー脱毛をしてくれる皮膚科(難波らへん)だが、

この両院ともインターネット上で簡単に予約・予約解除できるシステムを採用している。

診療予約システム|病院の予約システムはドクターキューブ

どちらも上記の会社のシステムを導入しているらしく、この会社自体も大阪市内に本社がある。

シェアが気になるところだ。

営業マンが片っ端からクリニックと見るや売り込みに行っているのか、たまたま私の通院先が採用していただけなのか。

2016年4月25日(月)の日記

25日か……リビングに置いてある電波時計(カシオ製、母が昔パート先の創立20周年記念でもらってきた)をしばし眺めてしまった。

私の誕生日は9月25日である。

そのせいか、『好きな数字は何ですか』という質問をされると、つい9やら5やらと返答してしまう。

何となく自分の誕生日に入っている数字に愛着がある。

例え誕生日でない他の月であっても、25日は何となく特別で、

今月で私は25歳と7ヶ月(そう、25歳でもあるのだ)なのだなといちいち再認識するきっかけになっている。

前職では給料日が25日だったので、誕生日は毎年給料日であった。

もちろん銀行の営業日でない土日祝であれば前後するものの、9月25日はぎりぎりシルバーウィーク明けで平日という場合が多いのだ。

日付のみならず、朝の9時25分もそわそわしてしまう。

夜の21時25分だってそうで、お風呂に入っている時にふと操作パネルに表示されている時間を見るとそうだったら、嬉しい気分になる。

 

今朝見た夢では長机を挟んで向かい合って、大学時代の友人(ただし別々のコミュニティだった人たちが学年・年齢関係なくごちゃまぜだった)と食事をとっていた。

長机があまりにも横長だったので、起きた瞬間最後の晩餐を思い出した。

また、夢は2本立てだったのだが、後半の夢では、アジアの某国で某アーティストがライブを行う予定のホールが手抜き建築というニュースを目にしていた。

メタリックな外観の、ピサの斜塔のような形状のライブハウスは上層階が商業施設とオフィスになっており、1階でライブを行うとその振動でガラスが割れる危険があるとのことだった。

『某バンドがライブしたところだ!』と夢の中の私は思っていたのだが、実際は全くそんな建物はない。

 

月曜日は認知症を患っている祖父がデイサービス施設に通所する曜日だったのだが、

朝9時に来るはずのお迎えの車が5分遅れただけで『施設に電話する!』とせっかちぶりを発揮していた。

母曰く、他のおうちの利用者さんを迎えに行ってから我が家に来るので、

そもそも8時55分〜9時10分頃くらいと開きがあるとのことだった。

しかし祖父の中では『いつも8時45分に来ている!』と事実がねじ曲がって認識されていた。

祖父は自分の名前や年齢、私を含む家族の名前なんかはまだ忘れるにはいたっておらず、

幸いなことに足腰も健康、昔の直腸がん治療の際に人工肛門に切り替えていることと、多くの持病の薬を服用している以外は身体に問題はない。

人工肛門の袋さえ自分で取り替えを行っているので、本人・家族ともに恵まれている方だと思う。

しかし、年々着実に判断能力は落ちてきており、上手く出来なかったことや忘れたことに対する合理化が顕著になってきていると感じる。

上手に祖父の尊厳を保ちながら、そうして生まれてくる齟齬を解消していくにはどうしてゆけば良いのだろう。

2016年4月24日(日)の日記

うちの近く、といっても自転車で10分くらいかかるイオンは専門店以外の部分は朝の8時から開店している。

専門店以外とはつまるところ、食料品であったり日用品であったりお酒であったりの売り場部分だ。

買いたいものがあったので、Ingressついでに今朝ぶらりと開店直後を狙って出かけてみた。

8時過ぎ、店内にはお客さんはほぼほぼ居ない。

というか店員さんしか見かけない。

食料品売場には恐らくパートもしくは契約社員と思しき焼き芋の試食販売のおばさんも居たのだが、行った段階ではまだ準備中で、ブースの設営をしているところだった。

ほくほくの焼き芋は朝の8時には出来上がっていなかった。

お客さんが見渡すかぎり居ない広大な売り場で、店員さんはそれぞれ自分の持ち場を完璧にしている。

ふりかけ担当の人は在庫のチェックとフェイス出しを同時にしているし、ヨーグルト担当の人は冷蔵庫の温度チェックをしているようだ。

20台ほどあるレジのうち、18台はCLOSEDで稼働していたのは2台だけだった。

帰りに駐輪場で出会った同年代の女の子は、恐らく店員でなく、早朝の品出しアルバイトでちょうど退勤したところだったのだろう。

あんなにお客さんが居なくてがらがらなのに朝8時に開店する意味が知りたくて調べたところ、どうも以前は朝7時営業開始の店舗もあったようだ。

moneyforward.com

例えば、もし自分がイオンの隣にあるマンションに住んでいて、『ちょっと朝早いけど今日のお弁当のおかず詰めてたらミニトマトが足りなかったどうしよう』となったら、徒歩5分の距離で7時ないし8時開店だったらきっと利用すると思う。

しかし、主に車でのアクセスを見越した郊外型店舗の立地なら、朝早くから向かうのはちょっと面倒くさい。

今後、営業時間はどう変わっていくんだろうか……。

 

そういえば市立図書館で借りていた本も今日が返却期限だったので、急いで閉館前に返しに行った。

土日の閉館は17:00だが貸出は16:40までと貸出券に書いてあったのだが、図書館についたのは16:45だった。

ギリギリまで借りた本を読んでいたのだ(無事読了できた)。

しかしせっかく来たのにとんぼ返りするのもなぁと思い、駄目元で返却カウンターで『今日は貸出終わりましたよね?』とお伺いしたところ、

『いえ、17:00までですのであと15分ほどありますのでどうぞ』とにこやかに応対していただいた。

こういう融通が効くのは本当にありがたい。

が、本来ならば時間に余裕を持って行動しないとならないと反省。