※この記事には2021年3月8日(月)公開『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の内容が含まれます。
1990年生まれの私が初めてエヴァと出会ったのは、奇しくも作中のパイロットたちと同じ14歳のことだった。
当時キッズステーションで放映されていたTV版、旧劇場版を観た。
父親と上手く行っていなかった自分の日常を、どこかシンジに重ねていた。
酷評する人もいるTV版のラストも自分としては腑に落ちる気がして、何度も繰り返し観ては泣いた。
旧劇場版のラストは、絶望的だったけれど、その分心の中に深く残った。
その後、新劇場版は、序、破、Qとも公開直後に観に行った。
序では敵ながら美しく描き直された第6の使徒の映像美に感動した。
破はTV版から大きく変わったストーリーを驚きながら受け止めた。
Qは何が起こったか全くわからず、シンジと同じような戸惑いを胸に抱えたまま鑑賞していた。
当初3作で終わるかと思った新劇場版はQでも終わらず、完結はお預けとなった。
その後、数回の延期を繰り返し、ようやく昨日、公開を迎えたのが、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』だった。
正直、観るのが楽しみだとは100%言い切れなかった。
上映時間が2時間を超えると聴いて、喜びよりも、何を見せられるのだろうという思いのほうが勝った。
下記の記事を読んでいたこともあり、精神的に厳しい環境で庵野総監督がこの映画を作ったことを知っていたので、展開が重いのではないかという懸念もあった。
また、タイトルに付いている𝄇という記号から、(最悪は)ありがちなループものエンドであったり、夢オチであったりという結末を迎えることも危惧していた。
それでも、公開初日に午後半休を取り、人生初のIMAXで鑑賞することを決めた。
結果は、この作品を作り上げてくれた庵野総監督にありがとう、お疲れ様でしたと言いたい内容だった。
Qでは登場しなかったトウジやヒカリ、ケンスケの成長した姿を見ることが出来て、14年という年月を実感した。
ミサトに何があって、Qでシンジにあんな態度を取っていたのかも明らかになって、初めてQを観たときに抱いていたもやもやも解消された。
今まで、ユイの幻影にすがりついているだけだと思っていたゲンドウのことも、シンジが対話することで少し心情を理解することが出来た。
カヲルと加地さんの関係など、今作で初めて描かれて、なおかつ観客にすべてが説明されたわけではないこともあるけれど、
序、破、Qで広げた大風呂敷は、畳めたと言っていいような仕上がりだったと思う。
上映時間は長かったけれど、演出や作画のおかげで、あっという間に感じた。
また観たいな。