ごった煮イマジネーション

140字じゃ足りないあれこれ。

2016年4月25日(月)の日記

25日か……リビングに置いてある電波時計(カシオ製、母が昔パート先の創立20周年記念でもらってきた)をしばし眺めてしまった。

私の誕生日は9月25日である。

そのせいか、『好きな数字は何ですか』という質問をされると、つい9やら5やらと返答してしまう。

何となく自分の誕生日に入っている数字に愛着がある。

例え誕生日でない他の月であっても、25日は何となく特別で、

今月で私は25歳と7ヶ月(そう、25歳でもあるのだ)なのだなといちいち再認識するきっかけになっている。

前職では給料日が25日だったので、誕生日は毎年給料日であった。

もちろん銀行の営業日でない土日祝であれば前後するものの、9月25日はぎりぎりシルバーウィーク明けで平日という場合が多いのだ。

日付のみならず、朝の9時25分もそわそわしてしまう。

夜の21時25分だってそうで、お風呂に入っている時にふと操作パネルに表示されている時間を見るとそうだったら、嬉しい気分になる。

 

今朝見た夢では長机を挟んで向かい合って、大学時代の友人(ただし別々のコミュニティだった人たちが学年・年齢関係なくごちゃまぜだった)と食事をとっていた。

長机があまりにも横長だったので、起きた瞬間最後の晩餐を思い出した。

また、夢は2本立てだったのだが、後半の夢では、アジアの某国で某アーティストがライブを行う予定のホールが手抜き建築というニュースを目にしていた。

メタリックな外観の、ピサの斜塔のような形状のライブハウスは上層階が商業施設とオフィスになっており、1階でライブを行うとその振動でガラスが割れる危険があるとのことだった。

『某バンドがライブしたところだ!』と夢の中の私は思っていたのだが、実際は全くそんな建物はない。

 

月曜日は認知症を患っている祖父がデイサービス施設に通所する曜日だったのだが、

朝9時に来るはずのお迎えの車が5分遅れただけで『施設に電話する!』とせっかちぶりを発揮していた。

母曰く、他のおうちの利用者さんを迎えに行ってから我が家に来るので、

そもそも8時55分〜9時10分頃くらいと開きがあるとのことだった。

しかし祖父の中では『いつも8時45分に来ている!』と事実がねじ曲がって認識されていた。

祖父は自分の名前や年齢、私を含む家族の名前なんかはまだ忘れるにはいたっておらず、

幸いなことに足腰も健康、昔の直腸がん治療の際に人工肛門に切り替えていることと、多くの持病の薬を服用している以外は身体に問題はない。

人工肛門の袋さえ自分で取り替えを行っているので、本人・家族ともに恵まれている方だと思う。

しかし、年々着実に判断能力は落ちてきており、上手く出来なかったことや忘れたことに対する合理化が顕著になってきていると感じる。

上手に祖父の尊厳を保ちながら、そうして生まれてくる齟齬を解消していくにはどうしてゆけば良いのだろう。